想い ~生い立ちと、きたなごやと出会うまで~

20代後半の頃、私は潰瘍性大腸炎という国の特定疾患の難病に陥りました。

 

法学部を卒業後、名古屋大須のパチンコ屋でアルバイトしながら弁護士を目指し司法試験の受験を続けていた自分にとって、医師から告げられた病名は死刑宣告に等しいものでした。実家の中小企業の経営も思わしくなく、治療費との兼ね合いもあり、当時スタートした法科大学院に進学するお金もなく、高校時代からの夢は静かに終わりを告げました。

 

それでも、何か世の中のためになる仕事がしたい。

 

その想いから、運よく日本年金機構(旧社会保険庁)に採用されました。年金機構では病気を抱えながらも充実した仕事をさせて頂きました。ただ、現場は消えた年金問題を発端に庁が解体された後の状態で、組織も職員も再起へ向け生まれ変わろうともがくけれども前へ進めない、そんな状態でした。仕事も充実し、年金や社会保障の制度の面白さに目覚め、現場でやりがいを感じながらも一職員でできる限界の壁にぶつかった頃、橋下徹大阪市長の下で維新政治塾が開校されました。ずっと抱いていた世の中のために仕事をしていくという私の想いが、橋下徹氏の世の中を変えていく勢いに惹かれていきました。私は仕事の合間に勉強を重ねながら数か月にわたる入塾試験を乗り越え、維新政治塾に合格しました。

 

 

 

病気を抱えた「個人」として。

 

その疾患を支える財源となる社会保障の現場にいる「公(おおやけ)」として。

 

そして、その硬直的な制度のために苦しんでいる実家の中小企業のような「民」として。

 

意図せず異なる3つの立場に立たされた経験のおかげではありますが、自分は現場で起こるその三者の間の矛盾や問題を感じ取り、その問題を解決策の道筋が見えるようになってきました。日本年金機構の現場も職員もお客様も本当に大好きでした。今でも、自分には公僕の血が流れていると思います。

 

それでも、世の中を変えたい、長年抱えていたその想いだけを武器に私は政治の世界に無謀にも飛び込みました。本当に政治家になりたいというより、ただただ世界を変えたくて。

 北名古屋のみなさまとの出会い・再会。 ~政治家としてのゆるぎない原点を与えてくれた街で~

その政治を目指す過程で、西春在住で歯科医師の小山けんいちと出会い、彼が立候補した衆議院議員総選挙(2012年12月)を共に戦いました。

 

二回り年の離れた小山と、急な選挙を全力で走り抜きました。選挙が終わった当日、私自身も高熱で倒れました。結果は善戦でありながらも議席獲得には至りませんでした。健闘空しく小山は敗戦後の選挙会計など膨大な残務処理へ。私は経験を積むべく次の選挙へ。修羅場で共に戦いながらも別々の道を歩むことになり別れました。

 

政令指定都市の市議選、市議選の補選、首長選(市長選)、都議会議員選挙と経験する中で、選挙というものが良くも悪くも様々な利害がぶつかる中でそれぞれの思惑が強く存在するからこそ空中分解せず、チームとして成り立っている現実を思い知りました。報酬や名誉、権限や主導権争い、勝利後の協力者のポスト向上。政治だからこそ、利害や打算があって当然です。でも、ほとんどの人間が見返りなしには動けないからこそ、政治的主張の受け手である市民、住民、国民の心が動かない。素人でも戦えない。

 

でも、従来型の既成政党のスタイルでも人の心は動かない。そんなジレンマの中で、病状を理解しながら無謀な想いを支えてくれた婚約者との未来を考え直した頃、半年振りに会い再度国政を目指す小山から「一緒にやらないか」とお誘いを受けました。

 

その頃、潰瘍性大腸炎の症状悪化で入院し、小山の秘書になることを決められずにいました。「政治はやめるべき」「違うボスを選べ」「選挙区は勝てる場所で」自分の中の指針が定まらない中で、様々な立場の方のどの意見も飲み込むことができませんでした。

 

でも、その迷いを変えてくださる言葉・出来事に出会いました。

 

小山の後援会長をしてくださった町内会の方にご挨拶に伺った時です。奥様が私の顔をみて、「あなた、選挙で私たちと一緒にものすごく電話かけがんばってくださった方ですよね。本当に誠実そうな声で」そんな事をおっしゃってくださいました。その後も、西春の駅前のお祭りで共に選挙を戦った別の方が顔を覚えてくださっていてわざわざご挨拶してくださったりしました。改めて痛感したこと。それは政治家としての自分の判断基準は、やはり市民の皆様におくべきではないのか。そこに基準をおけばブレなくなるのではないか。その想いからこの街との縁をくれた小山と、そして北名古屋と運命を共にしたい、そう思い至りました。

 

このベッドタウン北名古屋市はそれ以外の市町村から移り住んでこられた方々がおよそ人口の半数近くになります。もともとの西春・師勝で生まれ育った方々にとっても、この街に出会い、引っ越してこられた方にとっても、どの立場の方も共有できるような新しい未来を描き直さなければなりません。

 

私はこの土地で生まれた人間ではございません。だからこそ、もともとの西春・師勝の方々の想い・歴史を大切にしながら、新しく引っ越してこられた方々のニーズにもきちんと配慮していける、そんなしがらみのない政治を私自身が実行しなければならない、そう思っています。